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3. 現代日本社会における 帰属意識の低下と つながりの希薄化

 日本社会における「良い人生『good life』」という概念は、しばしば家族を中心に据えられてきた。文化人類学者のAnne Allison(2015)は、結婚率の低下や家族を持たない人、さらには安定した職に就けない人が増えている現状の中で、社会的地位や帰属意識を感じられない人々が増加していると指摘している。

 Allisonによれば、日本における「良い人生」の価値観は、伝統的に「家族」を基盤として形成されてきた。結婚して家庭を築くことは、社会的地位を得るための手段であると同時に、社会への帰属意識を獲得するための重要な手段と考えられてきたのである。

 戦後の日本は、高度経済成長や大量消費社会を経て産業大国として国際的地位を高めていった。この過程において、多くの男性は長時間労働を通じて家計を支え、女性は家庭内の役割を担いながら子どもの教育に注力してきた。こうした異性愛を前提とした核家族モデルは、当時の社会において「理想的な家族像」として広く受け入れられており、男性は稼ぎ手、女性は家事や育児を担う専業主婦として位置付けられていた。また、子どもは将来的に家庭とキャリアの両方を築く「学歴社会の勝者」として期待されていた(Allison, 2015)。このような家族像は、当時の日本社会において、経済的な好況と将来への一定の展望があったからこそ「到達可能な理想」としてみなされていた。企業は終身雇用を前提とした「日本型雇用システム」のもと、従業員を生涯にわたって支える存在と考えられており、「サラリーマン」である男性は、安定した職業と収入を通じて、この理想的な家族モデル実現しうる主体とされていた(Allison, 2015)。一方で、働く女性の数は増加していたものの、結婚や出産を機に職場を離れるケースは依然として多く見られた。たとえ育児後に再就職した場合でも、多くはパートタイムなど非正規雇用に限られていた。このような状況は、性別役割分業を前提とした価値観が当時の日本社会において根強く維持されていたことを示している(Ogasawara, 1998, p. 18; Allison, 2015)。

 しかし、1990年代のバブル崩壊以降、日本政府が進めた新自由主義的改革によって、それまでの長期雇用モデルは崩れていった。終身雇用に代わり、柔軟性や成果主義を重視する働き方が導入され、雇用の不安定さが広がっていった(Allison, 2015, p.42)。その結果、解雇や失業が増加し、非正規雇用の労働者も急増した。特にその影響を受けたのは、若者、女性、学歴の低い人、外国人移住者、そして退職を間近に控えた50代の男性である(p.43)。

 経済の低迷と雇用の不確実性により、家庭を築くことはかつてよりもリスクの高い選択肢となった。とりわけ不安定な雇用にある人々の間では、結婚せず、家族を持たない傾向が強まっていき、かつては「当たり前」とされていた働き方や家族のかたち──すなわち「良い人生」のモデル──は、次第に一部の限られた人々にしか実現できない「特権」となっていった。

 その結果、多くの人々が「どこかに帰属している」という感覚や、「普通である」という安心感を失い、出生率の低下や結婚や家庭を選択しない人の増加に伴って、ひとりで暮らす人の数が増え、社会的な孤立感が深まった。この傾向は、自殺の増加、ひきこもり、目的を見失った若者、ホームレス、そして不完全雇用の増加といったかたちで社会問題として顕在化している。こうした孤立社会のあり方や、誰にも看取られずに亡くなる「孤独死」の問題が、NHKが2010年に放送した番組で「無縁社会」として取り上げられ、広く注目を集めた(Allison, 2015)。バブル崩壊以降に進行したこれらの社会的変化は、多くの人々に職業的・将来的な不安をもたらし、結婚や家族を持つ意欲を低下させただけでなく、社会への帰属意識そのものの希薄化を招いている。

 この日本社会の衰退は今も明らかで、それは年々上昇する未婚率や、いまだ回復の兆しが見られない出生率といった統計にも表れている(厚生労働省, n.d.; 厚生労働省, 2023)。近年では人々の家族観が変化しつつあり、家族が必ずしも社会的地位や帰属意識と結びつくとは感じない人も増えている。しかし、Allison(2015)は、家族や家庭という概念が依然として日本社会における安定や幸福の象徴として機能していると指摘している。つまり、家族という枠組みが揺らぐと、日本社会全体の社会生活の基盤も不安定になる可能性があるということである。

 Allison(2015)は、もし社会生活の基盤が「家族」という枠組みに過度に依存し、特に理想化された家族像に基づいて構成されている場合、現在の不安定な社会情勢の中で希望を見出すためには、伝統的な家族モデルに代わる、自らの「存在」や「帰属」を実感できる場が必要だと述べ、人々がお互いに支え合えるような新たな社会的デザインの構築が求められていると指摘している(p.51)。

 さらに、これに加え、職場もまた、個人が帰属意識を育みにくい場となりつつある。バブル崩壊以前に見られた終身雇用制や職業的安定性に象徴される「日本型雇用システム」は、サラリーマンにとって企業への帰属意識や忠誠心を育む基盤となっていた。企業はある種の擬似家族として機能し、職場の人間関係は家族的な性格を帯びており、仕事は個人のアイデンティティ形成において重要な役割を果たしていた。しかし、1990年代のバブル崩壊以降、終身雇用制は崩壊し、より柔軟で成果主義的な労働体制へと移行した。その結果、企業内における「家族」のような雰囲気や帰属意識は失われ、サラリーマンは職場との擬似家族的な関係から切り離されていった(Allison, 2015)。こうした変化は、サラリーマン層の間で、職場が「自分の属する場所」であるという感覚を失わせ、現代においても仕事を通じた帰属意識を得る機会の減少につながっている。

 つまり、バブル崩壊以降の社会構造の不安定化は、家族を持つことの困難さを増すだけでなく、職場においても労働者が帰属意識を得にくくなったことを示している。従来、「良い人生」の指標とされてきた家族や職場への帰属が失われることで、人々は社会の中で脆弱な立場に置かれ、社会的帰属意識の希薄化が進行していると言える。とりわけ深刻な影響を受けているのは、人道的なセーフティネットを十分に持たず、社会的に孤立しやすい不完全雇用者層である(Allison, 2015)。

 こうした状況を踏まえ、家族や職場といった従来の社会的枠組みに依存するのではなく、新たなかたちで帰属意識を育むことができる空間や仕組みを創出することが、今後ますます重要になっていると考えられる。

 そして、新型コロナウイルスのパンデミックは、人々の社会的つながりをさらに縮小させ、帰属意識の希薄化を加速させる要因となっている。2020年初頭に始まったパンデミックの中で、かつてない規模で「ソーシャルディスタンス」が導入され、リモートワークやオンライン授業への移行、対面での交流の制限といった措置が取られた。その結果、人々の社会的つながりは著しく損なわれ、孤独感が社会全体に広がった。科学技術振興機構(JST)と早稲田大学による共同調査によれば、2020年のパンデミック初期と比べても、2022年時点で日本社会における孤独感は大きく改善していないことが明らかになった。多くの社会活動がコロナ以前の水準に戻りつつあるにもかかわらず、国内では依然として約40%の人々が孤独を感じていると回答しており、特にその傾向は20代の若者に顕著であり、次いで30代にも多く見られた(国立研究開発法人科学技術振興機構, 2022)。

 

 このように、家族や職場といった従来の社会的枠組みからの人々の乖離が進み、さらに新型コロナウイルスによって社会的孤立が顕在化した現代日本社会では、孤独感や人とのつながりの希薄化、そして帰属意識の低下が顕著な特徴として表れている。先行研究では、このような社会関係の断絶が身体的・精神的健康だけでなく、死亡リスクにも影響を及ぼすことが指摘されている(Umberson & Montez, 2010)。Crisp(2010)も、多くの人々が本質的に何らかの帰属意識を求めており、それは人間関係や環境、社会的状況のなかで多様なかたちで経験されると述べている(p. 124)。また、Oldenburg(1989)は、人とのつながりを維持することの重要性を強調し、それが孤立という「悪魔」と向き合いながら、穏やかで安定した状態を保つ鍵になると主張している(p. 50)。

 以上を踏まえると、家族や職場といった従来の社会的枠組みに依存しない、新たな「つながり」や「帰属意識」を育む場の必要性は、ますます高まっていると言える。次章では理論的枠組みに着目し、これらが本研究で取り上げる銭湯および関連施設における利用客のつながりの促進や帰属意識の形成にどのように合致するかを検討していく。

Tokyo Sento 
東京銭湯

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