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Tokyo Sento 
東京銭湯

4. 銭湯空間におけるつながりと 帰属意識をめぐる 理論的枠組みの検討

4.1 共存(copresence)と 一緒にいる孤独(alone-together)

 これまで述べてきたように、家庭用の風呂が普及していなかった1960年代後半までは、銭湯は地域における社交の場であると同時に、生活インフラとしての役割を果たしていた。しかし、現代社会においてはそのインフラとしての機能は限定的となっている。こうした銭湯の衰退を背景に、東京都生活文化スポーツ局(2018)は2018年以降、公衆浴場の活性化に向けた取り組みを進め、さまざまな活性化策を提案している。その中では、公衆浴場が事業として存続していくためには、入浴にとどまらない付加価値を提供し、来訪者を惹きつけることが重要であると強調されている。

 このような文脈のもと、現在では従来の入浴サービスに加え、多様な工夫を凝らすことにより、人々が入浴以外の目的を持って銭湯を訪れるような、新たな社会的空間として銭湯を再構築する動きが広がっている。銭湯の数が減少を続けるなかで、こうした再構築の取り組みは、現代社会のニーズに応えた銭湯経営の一つの試みであると言える。

 銭湯の衰退が地域の社交場の消失を示すと同時に、前述のように、人々のつながりや帰属意識の希薄化も日本社会全体で顕著になりつつある。背景には、未婚率の上昇や家族形成の減少、雇用の不安定化、職場文化の変容、さらには新型コロナウイルス感染症によって深刻化した社会的孤立などの要因が挙げられる。こうした二つの社会的変化が並行して進行する中、人々が社会的関係を維持し、新たに築いていくことは、ますます困難な課題となっていると言える。

 本研究の目的は、現代の銭湯空間が、家族や職場といった従来の社会的枠組みを超えて、人々に新たなつながりや帰属意識を育むための代替的な場をいかに提供しているのかを明らかにすることである。そこで、研究対象とする三つの銭湯および銭湯関連施設における社会的関係の形成・強化に関する取り組みを記述する前に、彼らの取り組みがどのような理論的枠組みと結びついているのかを検討する必要がある。参与観察および各施設におけるインタビューを通じてオーナーや店長への聞き取りから得た知見をもとに、彼らがどのように「つながり」や「帰属意識」を育む社会的な場を提供しているのかについて、「共存(copresence)」「一緒にいる孤独(alone-together)」「サードプレイス(third place)」「居場所(ibasho)」の四つの理論的枠組みに照らし合わせながら考察する。

4.2 サードプレイス(third place)

 「共存」や「一緒にいる孤独」は、銭湯空間における基本的なつながりの形成を理解するための理論的枠組みである。しかし、銭湯が歴史的に社交の場として機能してきたことを踏まえると、より強い帰属意識やつながりの側面を捉える視点として、「サードプレイス(third place)」という概念も重要である。

 サードプレイスは、アメリカの都市社会学者、Ray Oldenburg(1989)によって提唱された社会学的概念であり、家庭(ファーストプレイス)と職場(セカンドプレイス)の中間に位置する場所を指す。著者によれば、サードプレイスとは「個人が定期的かつ自発的に訪れ、インフォーマルに気軽な交流を楽しむことができる、多様な公共の場を包括的に示す概念」である(p.16)。これらの「インフォーマルな公共の集いの場」は、家庭や職場の外で他者と出会い、社会的交流の機会を提供するとともに、その場所への帰属意識の醸成に寄与する。サードプレイスの理論は、「共存」や「一緒にいる孤独」とは異なり、他者との交流を前提としている点が特徴であり、個人のつながりを促進し、より強い帰属意識を育む可能性をもつ。Oldenburg(1989)によれば、サードプレイスには八つの特徴がある:

  1. 「中立な領域」:サードプレイスは中立的な場であり、個人が自由に出入りできる空間である。そこには社会的な役割や責任がなく、家庭や職場のような義務や期待が課されることはない。                                              

  2. 「サードプレイスは人を平等にする」:サードプレイスは民主的な空間であり、社会的地位や背景に関係なく、すべての人が対等な立場で交流できる。特定の資格や条件は必要なく、誰もが受け入れられ、参加できる場である。                                                          

  3. 「会話がおもな活動」:サードプレイスの中核には、活発で魅力的な会話がある。会話の雰囲気は、生き生きとしており、遊び心があり、かつ尊重されるものである。          

  4. 「利用しやすさと便宜」:サードプレイスはアクセスが良く、ほぼいつでも利用できることが重要である。訪れることで、顔なじみの人と出会える可能性もある。また、人々の社交欲求やリラックスしたい気持ちに応えられる空間であることが求められる。                                                                                 

  5. 「常連」:サードプレイスには、その場の雰囲気を作り出す常連客が存在する。常連客の態度やふるまいが場の空気を形成し、新規の訪問者が歓迎されるかどうかにも影響を与える。                                                                    

  6. 「目立たない存在」:サードプレイスの環境は、飾り気がなく控えめであることが特徴である。派手な広告や目立つ立地にあるのではなく、落ち着いた場所に位置し、知らない人や一時的な訪問者よりも、常連客が安心して過ごせる空間となっている。                   

  7. 「その雰囲気には遊び心がある」:サードプレイスの空間は、遊び心に満ちた雰囲気を持つ。機知に富んだ会話やユーモアが重視され、楽しさが重要な要素となる。                      

  8. 「もう一つのわが家」:サードプレイスは、家庭のような快適さ、帰属意識、そして居場所としての感覚を提供する場である。そこにいることで、人々は安心感を得て、社会的・感情的な回復を図ることができる。                                          (Oldenburg, 1989, pp. 22-42)

 最も基礎的な段階として、銭湯は孤立した個人が集まり、集うことを通じてつながりが育まれる社会的空間として捉えることができる。このような空間は、「共存(copresence)」という理論的枠組みに照らして理解することができる。

 「共存」とは、他者と物理的に同じ空間に存在する状態を指す。しかし、Zhao & Elesh(2008)が指摘するように、それは単なる物理的な近接を意味するものではない。重要なのは、同じ空間において人びとが互いにアプローチ可能な状態にあり、交流の可能性が開かれているという点である。このような状況は、他者と「一緒にいる(being with)」という感覚を育むとともに、他者を「慎重に配慮すべき存在(circumspectively concernful beings)」として捉える姿勢を含意している(Heidegger, 1962, as cited in Zhao & Elesh, 2008, p. 570)。

 つまり、共存とは単なる空間の物理的な共有にとどまらず、互いの存在を意識し合い、相互にアクセス可能な関係性にある状態を指す。ただし、そこに必ずしも実際の交流が生じるわけではない。共存は「人と人が共にあることの一形態(a mode of human togetherness)」であり(Zhao & Elesh, 2008, p. 578)、他者の存在を意識することを通じて、たとえ直接的なやりとりがなくとも、社会的・感情的なつながりが生まれる可能性を示している。このように、個人が直接的に交流しない場合であっても、「共存」によって生まれる空間は、ひとりでいるという状態でありながらも、つながりや感情的な結びつきを同時に内包していることを示唆している。

 狛江湯のオーナーである西川隆一氏は、この共存の理論に基づいた空間の創出を目指しており、次のように語っている。

 

「狛江湯がひとりで楽しめる場所というのが生涯のテーマである」(西川隆一氏, 個人コミュニケーション, 2024年10月31日)。

 

 西川氏は、個々の顧客がひとりでいることを楽しみながらも、他者の存在を感じられる銭湯空間を構想している。これは「共存」の中核的な考え方と密接に関連していると言える。ただし、西川氏が重視しているのは「ひとりを“楽しむ”」ことであり、交流が可能であっても、あくまでひとりでいる体験が主眼となっている点に微妙な違いがある。

 彼のビジョンは、White(2012, p. 139)が紹介する「一緒にいる孤独(alone-together)」という理論とより深く結びついていると考えられる。この理論は共存と似ており、他者と同じ空間にいる感覚を含みつつも、ひとりでいることを維持する点に重きを置いている。とはいえ、「共存」と「一緒にいる孤独」の双方に共通しているのは、ひとりの空間と他者との感情的なつながりが同時に成り立つ相互作用であり、まさにそれが西川氏のビジョンの核である。彼は、社会的につながった環境の中で、個人がひとりになれる経験を重視しているのである。

 これら二つの理論的枠組みは、銭湯という空間が、たとえ直接的な交流がなくとも、個々の人々に基本的なつながりの感覚をもたらしうることを示している。関わりを持たない個人同士であっても、共有された物理的な空間に身を置くことで、感情的なつながりが生まれるのである。

4.3 居場所

 小杉湯となりのオーナーである加藤優一氏は、となりの包括的な役割を「次世代サードプレイス」と位置づけている(野村, 2023)。となりは家庭と職場の間に位置するインフォーマルな公共空間として、会員がつながりや帰属意識を育むきっかけを提供する場として機能する。しかし、加藤氏によると、となりの空間には一定の「柔軟性」が備わっており、それはOldenburg(1989)が提唱した従来のサードプレイスの概念を超えるものである。このため、となりは「次世代サードプレイス」として再定義されている。

 序論で述べたように、加藤氏(2023)は「銭湯のある暮らし」という考えを、小杉湯となりの構想の基盤として提唱している。これは銭湯の魅力をとなりの全体的なコンセプトに取り込むことを意味している。マクロな視点から見ると、生活を家庭や職場のみに限定せず、銭湯のようなインフォーマルな公共空間で、つながりや帰属意識を育むきっかけを提供することに重きを置いている、ということである(野村, 2023)。となりでは会員制度を通じて、会員が定期的かつ自発的に訪れることが促されている。また、ここは会員が家庭や職場で担う社会的役割や義務から解放されるインフォーマルな空間でもある。この利用者の定期的かつ自発的な訪問と、インフォーマル(中立)的な空間という三要素は、Oldenburg(1989)が提唱したサードプレイスの重要な特徴である。

 しかし、加藤氏(2023)がとなりに取り入れようとしている銭湯のミクロレベルの価値は、空間内で「交流を前提としない」点にある。この点において、サードプレイスの概念を拡張していると言える。Oldenburg(1989)は、サードプレイスにおいて会話を中心的で奨励される活動として位置づけているが、加藤氏は会話を必須とは考えていない。むしろ、「コミュニケーション選択性」を提供することを重視している(野村, 2023)。

 銭湯において交流が前提ではないことを、加藤氏(2023)は説明している。銭湯は、個人が望むときにひとりで過ごすことができ、また他者との交流を望む場合には会話を交わすことも可能な空間である。実際、常連客や番台のスタッフとのやりとりは、銭湯内において頻繁に見られる。また、たとえひとりでいるときであっても、他者とのつながりを感じることができると加藤氏は述べている(p. 65)。このような銭湯の在り方は、「共存」の理論と一致しており、共有された環境の中で他者の存在を意識しつつ、互いにアクセス可能な状態にあることを意味する(Zhao & Elesh, 2008)。

 こうした考えをもとに、加藤氏(2023)は、となりにおいても「コミュニケーション選択性」を重視した環境の構築を目指している。そこでは、会員がひとりの時間を楽しみながらも、他者の存在を感じることができ、交流を望む場合には会話を交わす機会が提供される。この点は、となりの店長である白井杏美氏もインタビューの中で強調していた。

 このように、となりの主な機能は、家庭と職場のあいだに位置するインフォーマルな公共空間として、会員制度を通じて会員が定期的かつ自発的に訪れることにあり、これはサードプレイスの包括的な概念と重なっている。しかし一方で、加藤氏がとなりで提供しようとしている「コミュニケーション選択性」や、社会的交流に対する柔軟なアプローチは、Oldenburg(1989)がサードプレイスにおいて会話を中心的かつ奨励される活動として位置づけていた枠組みとは異なっている。この点において、となりの構想は、より多様で柔軟な社会的交流のあり方を取り入れることで、サードプレイスの概念を拡張しようとする試みであると言える。

 最後に、「居場所」という理論的枠組みについて考察する。本稿では、西洋発祥の理論に加え、調査対象である日本社会の文脈に即した概念を取り入れることも適切であると考える。

 「居場所」の概念は、特に2011年の東日本大震災およびそれに続く津波・原発事故を契機として、現代日本社会において広く共有されるようになった。震災以降、全国各地でNPOや市民によるネットワーク活動が展開され、支援や社会的つながりを提供する新たな試みが数多く生まれた。この震災は、被災者に限らず多くの人々にとって「帰属意識」の重要性を再認識させるきっかけとなり、「自分が支えられている」「誰かとつながっている」「必要とされている」と感じられる空間の必要性を社会的に浮き彫りにした。

 このような文脈において、「居場所」とは単なる物理的な空間を指すのではなく、精神的な支えやつながり、そして帰属意識を提供する場として捉えられる。山口(2012)が指摘するように、「場所(ばしょ)」という語が物理的な位置や空間を意味するのに対し、「居場所」は必ずしも物理的空間に限定されるものではない。むしろそれは、精神的な安心感や支え、さらには「自分はここに帰属している」と感じられる感覚と深く結びついている。

 この点から、居場所は人との関わりや相互交流を重視する「つながり」の理論よりも、むしろ内面的な安心感に重きを置いた「帰属意識」に近い概念として位置づけられる。

 VU(2024)は、先行研究を踏まえ、居場所の概念には以下の三つの特徴があると論じている。(1)個人の主観性、(2)物理的空間、(3)他者との関係性、である。

第一に、居場所の主観的側面は主に心理的次元に関わるものであり、個人がその環境に順応する過程を含意している。すなわち、他者に受け入れられ、快適さを感じることによって、個人は自身の「居場所」を構築する。このような感覚は、自由、帰属、結びつき、自己肯定といった感情と関連しており、ひいては個人の幸福感に寄与する。

 第二に、居場所は物理的空間として現れる場合もあるが、前述の通り、それは必須の条件ではない。居場所は、家庭、学校、職場といった在来の社会空間に限らず、より多様な空間においても見出されうる。ただし、その空間が真に「居場所」として機能するためには、先述の個人の主観的経験が決定的な役割を果たす。

 第三に、居場所は他者との関係性によっても規定される。ある空間において肯定的な人間関係が築かれていれば、そこは居場所としての性質を強める。一方で、交流が否定的なものであった場合、その空間は居場所として認識されにくくなる。また、特定の物理的空間において長期的かつ継続的な対人関係が構築されることで、その場が居場所へと変容し、結果として個人の全体的な幸福感を高める契機となる。

 以上より、居場所の概念は、個人の主観性、物理的空間、他者との関係性といった複数の要素を内包しながら、快適さや受容感、幸福感の促進という観点において、精神的側面や帰属意識を中核に据える理論的枠組みとして位置づけることができる。

 前述のように、居場所は今日の日本社会において広く用いられている概念であり、現代における社会的関係の希薄化に呼応するかたちで、その必要性が語られていると言える。たとえば、「引きこもり」に関する議論では、「居場所」が頻繁に取り上げられ、帰属意識を得られる空間を提供することが、当事者に快適さや支援をもたらし、徐々に社会復帰を果たすための手助けとなっている。同様に、「こどもの居場所づくり」も注目されており、これは貧困や社会的孤立に直面する子どもたちに対して、精神的なサポートを届けることを目的としている。

 本研究においては、電気湯のオーナーである大久保勝仁氏と、小杉湯となりの店長である白井杏実氏が、それぞれの立場から居場所の理念を実践的に提供しようとしている。彼らの取り組みを通して考察することで、居場所という概念がもつ多層性および複雑さが浮かび上がる。

 大久保氏は、自身が営む銭湯ビジネスを通じて、京島地域の住民に対し心の拠り所を提供することを目指している。彼のビジョンは、「このまちに住む誰もが自分の居場所を見つけられる地域版『最小不幸社会』」(大久保勝仁氏, インタビュー, 2024年11月19日)という言葉に端的に表されている。もう少し具体的に述べると、大久保氏は、地域住民が電気湯での銭湯体験を通じて、社会的孤立などによって抱える不安や不幸感を軽減し、精神的にリフレッシュできること、そしてその過程で自らの居場所を見出す一助となることを期待している。彼の居場所づくりのアプローチは、心の回復を促す環境の構築を中核としている。大久保氏は、社会的交流こそが顧客に対する心の回復と支援において重要な手段であると考えており、この考えは精神的幸福の向上に寄与する「居場所」の心理的効果と深く結びついている。

 一方、白井氏は、小杉湯となりのシェアスペースが「居場所」、すなわち彼女の言う「もう一つの帰る場所」として機能することを目指している。彼女が描く居場所のビジョンの中核には、「顔見知り」のネットワークを築き、会員間の社会的交流を促進しつつ、それぞれのパーソナルスペースを尊重するという姿勢がある。空間への親しみやすさ、豊富な交流の機会、そして個の領域の確保という要素を両立させながら、白井氏は、となりが会員にとって快適に過ごせる、つまり「もう一つの帰る場所」となり得るよう努めている。大久保氏と同様に、白井氏もまた、精神的な安心感や受容感を得られる空間の提供を目指しており、これは居場所の本質的要素と深く結びついている。両者はともに、利用者の精神的な幸福の実現を重視しているが、各々が提供する空間において「居場所」がいかに構築されるかという点には、細やかな相違が認められる。

 たとえば、白井氏は「小杉湯となり」における空間の親しみやすさを重視しており、顔見知りとの出会いや交流が、安心感や「歓迎されている」という感覚を喚起すると考えている。この姿勢は、会員制度を通じて定期的な交流の機会を創出し、会員が親しみを育んでいくという点に表れている。

 一方、大久保氏の描く「居場所」は、空間自体の親しみやすさを必ずしも中心に据えていない。電気湯には常連客も多く見られるが、大久保氏の関心は、むしろ常連・新規に関わらず、誰もが社会的交流を通じて不幸感を軽減し、心の回復を得られるような空間の創出にある。彼にとって、他者との関わりこそが、居場所の感覚を高めるための重要な要素である。

 総合的に見ると、大久保氏と白井氏によってそれぞれに体現される「居場所」のあり方は、この理論的枠組みが持つ柔軟性を如実に示している。「居場所」という語は、それを用いる人々の多様なニーズに応じて適応されながらも、一貫して精神的な安心感やつながり、そして帰属意識を表現するものである。2011年の震災以降、人々が精神的な支えの重要性をいっそう強く意識するようになった日本社会において居場所の概念が広く受け入れられるに至った一因は、このような柔軟性と適応力こそにあると考えられる。

 本章では、銭湯という空間が個人のつながりや帰属意識をいかに育んでいるのかについて、複数の理論的枠組みに照らし合わせながら検討した。「共存」「一緒にいる孤独」「サードプレイス」「居場所」といった理論は、それぞれ異なるかたちの社会的関係性を示しており、本章で取り上げた銭湯および銭湯関連施設のオーナーや店長によって、各々独自のかたちで取り入れられている。たとえば、サードプレイスの概念の再解釈に見られるように、これらの枠組みが本来の定義を超えて拡張されることもあれば、居場所のように精神的健康における心理的側面に焦点を当てながら、柔軟かつ適応的に用いられているケースもある。

 こうした理論的枠組みと現場の取り組みとの関係性を踏まえつつ、次章では、調査対象である三つの銭湯施設において、オーナーや店長がいかにして社会的なつながりや帰属意識を育む場を創出しているのかを、より具体的に検討する。そこでは、彼らが社会的関係を深めるために行っている実際の取り組みを明らかにするとともに、フィールドワークを通して観察された、意図的に設計されたわけではないが存在している、多様な社会的関係のあり方についても考察を加える。

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